近ごろは、なんでも数字でございます。会社の値打ちも、人の値打ちも、表にして、棒グラフにして、ご丁寧に矢印まで引っぱって。けれど、数えられるものばかり数えていると、いちばん大事なものを数え忘れる。……ま、その手の話を、ひとつ。
で、その「数え忘れ」を抱えた男が二人、なにやら言い合いながら、ご隠居の家へ転がり込んでまいります。
熊: ご隠居、ご隠居、いるかい! 大変なんだ、あっしゃ会社の値打ちってやつを見つけたよ。LTV、客の生涯価値ってやつ。これが資産だ。これさえ積み上げりゃ、うちは安泰だ!
八: よせやい熊。そりゃ資産なんかじゃねえ。ただの後ろ姿だ。済んじまった勘定の、影法師よ。お前ぇ、影を質屋に持ってって、いくら貸してくれるってんだ。
熊: 影だぁ? なに言ってやがる。ちゃんと数字で出てらぁ。数えられるものが資産に決まってるじゃねえか。
八: 数えられるから資産だってのが、もう間違ぇの始まりよ。だいたい世の中、数えやすいものほど、みんなが数える。みんなが同じものを数えて、同じように追いかけたら……
ご隠居: ……追いかけたところで、もう値打ちはない。
熊・八: あっ、ご隠居。
ご隠居: 騒々しいねえ、二人とも。まあお上がり。……熊さん、お前さんの言うLTVな。あれは資産じゃない。テストだよ。わしは昔こう書いた。「利益とは、企業の決断が正しかったかどうかを測るテストである」。目的じゃあない、答え合わせさ。LTVも同じ。客との仲が達者かどうかを、後から教えてくれる物差しだ。物差しを抱きしめて、資産だと言い張る奴があるかい。
熊: じゃあ、ほんとの資産はどこに。
ご隠居: 数字を生んでる仕組みのほうさ。客がなぜ離れずにいるのか。その因と果。そっちが資産で、数字はその影だ。
八: ほうら見ろ熊、影だって言ったろう。……ご隠居、あっしはね、もうひとつ言いてえことがある。会社で本当に効くのは、文化だ。社風ってやつだ。これだけは数字に化けねえ。化けねえから、よそが真似できねえ。そうでしょう、「文化は戦略を朝めしに食っちまう」ってね。……これ、ご隠居の名言で。
ご隠居: ……わしゃ、言っとらんよ。
八: えっ。
ご隠居: みんなわしの名で言いふらすがね、わしの本のどこにも書いちゃいない。出どころのない言葉を、自分の手柄にするもんじゃない。……ただ、中身は半分そのとおり。わしが本当に書いたのはこっちだ。「組織の値打ちは、天才がいるかどうかじゃない。ごく当たり前の人に、当たり前でない働きをさせられるかだ」。文化ってのは、その仕掛けの名前さ。
熊: なるほどねえ。けどご隠居、数えられねえものを大事にしろってのは、ちょいと危なかぁないですか。みんな測るのをやめて、雰囲気だけになっちまう。
ご隠居: いいところを突くね、熊さん。だからわしは分けたんだ。「物事を正しくやる」のが効率。「正しい物事をやる」のが有効性。測りやすいものばかり磨くのは、効率に溺れて、肝心の正しさを見失うってこと。……だが、測るのをやめろとは言っとらん。測る先を、間違えるなと言ってる。影の長さじゃない。影を落としてる、その仕組みの達者さを測れ。
八: 仕組みの、達者さ……。
ご隠居: お前さんたちの言ってたことは、初めっから一つなんだよ。LTVも、文化も、出てくる数字は遅れてくる影。値打ちは、影を落としてる因果のかたちにある。そのかたちは測りにくい。測りにくいから、よそが真似できない。……「早い・安い・気が利く」って違いは、すぐ横並びになる。けど「この仕組みなら、この店」って独自さだけは、残るのさ。
熊: ご隠居、じゃあ最後にひとつ。うちの会社、しめてナンボの値打ちがあるんで。
ご隠居: ……お前さんの店が、明日そっくり消えてなくなったとして。
熊: へえ。
ご隠居: 困る客が、いったい何人いるか。……その分だけだよ。それ、帳簿のどこに載ってる。
八: ……載ってねえ。
ご隠居: だろう。いちばん大事な資産は、たいてい帳簿に載っとらん。載ってるのは、その影だけ。
熊: なんだい、あっしらは朝から、影を追いかけて息ぃ切らしてたわけだ。
八: 道理で、走っても走っても、追いつけねえや。
ご隠居: 影に追いつく日が暮れる。お前さんたち、提灯はどうした。
熊: 提灯?
ご隠居: 測れる、ってやつさ。……足元しか照らさん。
楽屋ばなし ……
ご隠居の口から出る台詞は、ドラッカーの言葉を借りました。「利益は目的じゃない、答え合わせさ」は『マネジメント(Management: Tasks, Responsibilities, Practices, 1973)』の「利益は企業の決断の妥当性を測るテスト」を江戸弁にしたもの。「効率は物事を正しく、有効性は正しい物事を」は『経営者の条件(The Effective Executive, 1966)』の核です。サゲの「困る客の分だけ」は、『現代の経営(The Practice of Management, 1954)』の「企業の目的は顧客を創造すること」を、帳簿に載らない資産の話へ落としたもの。いずれも逐語ではなく、意味だけ写しています。「組織の値打ちは、ごく当たり前の人に当たり前でない働きを」も同じ『マネジメント(1973)』に拠りますが、原文の正確な位置は要確認……確信は概念まで、としておきます。
そして八つぁんが得意げに振った「文化は戦略を朝めしに食う……ご隠居の名言でしょ」。ご隠居が即座に「言っとらん」と返した通り、これはドラッカーへの誤帰属で、本人の著述には見当たりません。出どころのない格言ほどよく出回ります。
「早い・安いといった違いは横並びになり、真似のできない独自さだけが残る」「数字は遅れて届く影」……は、誰の出典でもなく、森の持論でございます。
それでは、お後がよろしいようで。



